国際医療交流

静岡てんかん・神経医療センターでは、主にてんかんを中心として国際医療協力を続けています。てんかんは、適切な治療により患者さんの7割以上が寛解する病気ですが、アジア地域の約3000万人のてんかんをもつ人の医療・福祉は危機的に遅れています。その背景には、専門医および専門知識を有したスタッフの不足、診断機器(脳波など)の不足、抗てんかん薬の供給不備、行政の無関心、てんかんに対する因襲的な考え方などがあります。

当院では、アジアの諸地域に出かけて技術指導を行う個別的な援助とともに、WHO、国際抗てんかん連盟(学術団体)、国際てんかん協会(当事者団体)と協力しててんかん医療の普及ならびに質の向上を目指した活動を行っています。てんかん学普及のための「アジア・オセアニアてんかん学会議」(1996年 -)、リハビリテーション・福祉の向上のための「アジア・オセアニアてんかん協会」(1998年-)には当院も積極的に関与しており、定期的に国を替えて開催されています。

他方、アジアからの研修生の受け入れは、当院のこれまでの国際協力の貴重な財産となっています。病因が多岐にわたり、治療が長期におよび、影響が生活上の多分野に波及するてんかんにあっては、薬物や医療機器などの援助を通じての劇的な効果を期待することはできず、リハビリテーションを含む広い視野での息の長い協力体制が必要であり、そのためには現地における包括的なてんかん医療の核となる人材を養成することがもっとも有効です。
当院で研修した多くの医師は、帰国後、当該国でのてんかん医療の中心となり活躍しています。てんかんセンターを立ちあげた医師もあり、そのセンターで研修を受けた医療スタッフがさらに各地でてんかん医療を実践しています。これらの医師とネットワークを作り、それを基盤にさらに協力の輪を拡大していくことができます。アジアからの研修生の受け入れはこの意味で医療協力の財産であり、機器や材料の不足した現地での指導よりも、当院でてんかん医療の実践を学んでいただいた方が効率的です。

アジアでの研修セミナー

先に述べた国際てんかん組織と協力して、アジアの諸地域でてんかん研修セミナーを開催していますが、これは当地のてんかん医療の実態を把握し、人的コネクションを作るのに役立っています。これまで、ベトナムのハノイとホーチミン、インドネシアのバンドン、セマラン等、ミャンマーのヤンゴン、モンゴルのウランバートル、ネパールのカトマンズ、バングラデシュのダッカ、中国の新彊、蘭州、南寧、海口、福州、桂林、銀川、重慶等、ラオスのビエンチャンなどでセミナーが開かれました。今後、さらに各国で研修セミナーを予定しています。また、脳波研修セミナーを2003年より開始し、インドネシアのバンドンで第1回が、その後中国のクンミンやシンガポール、カラチ、コーチンなどで開かれました。さらに、抗てんかん薬や画像診断のセミナーも各地で開催されています。

ハノイでは、9人の講師が2日間(2000年4月)、てんかんに関する諸側面について講義と質疑応答を行いました。全ベトナムから200人の医師が集ま り、4月末でも汗の出る暑さのなかで、会場はさらに熱気に満ちていました。ベトナムではじめてのてんかんに関する全国的集会であったこのセミナーの大きな 成果の一つは、厚生大臣が出席し祝辞を述べたことです。ベトナムにてんかん学会が設立されれば、てんかん医療に極めて大きな進展が生じます。大臣の示した 関心はその重要な契機になることと思われます。
2004年6月にはホーチミン市で開催されました。100余名の医師の参加があり、主に同市をはじめとする南部ベトナムから、また数名はハノイからも参加していました。地元のてんかん症例について熱心に検討が行われました。

バンドンでは、2002年6月に3日間のセミナーが行われました。300名近い参加者からは熱心な質問がありました。インドネシアでもてんかんの専門医は 10人ほどであり、治療ギャップは90%以上といいます。組織スタッフの行き届いた配慮が強く印象に残りました。2003年12月に行われた脳波研修セミナーでも300人を越す参加者があり、このときの質問および議論の内容は、前回のてんかん学教育セミナーより関心と水準において確実に水準が向上していたように思います。当院で長期研修した神経内科医がセミナーの組織および演習の中心的役割を果たしていました。その後、セマランやバンドンでも同様のセミナーが開催されています。

モンゴルでは、2002年に、国立モンゴル医科大学に協力をお願いし、50人の神経科医、精神科医、小児科医を聴衆に2日間の講義を行いました。さらに大学病院のICU、小児病院を訪れて、患者の診察にあたりました。モンゴルではてんかん学会の設立を準備しており、今回のコースを機会に機運を盛り上げたいとのことでした。
モンゴルでは薬や機器が絶対的に不足しており、てんかん診療に不可欠な脳波計は3台、CTも1台しかありません。一昨年当院にて研修した若い神経科医が、日本から持ち帰った中古の脳波計はその1台で、それを駆使して患者さんの診療に役立てているのをみて、感慨を覚えました。日本はこのような診断に必須でしかも決して高額ではない医療機器を積極的に提供する機会を考えるべきであると思いました。
モンゴルにはその後、2006年春、2007年春、2008年春に当院から2人の医師が訪れ、現地のてんかん専門医とさらに親交を深めるとともに、てんかんセミナーに参加しました。2007年のセミナーは、現地の医師が組織にあたり、モンゴル大学付属の3つの病院、モンゴルてんかん学会、モンゴル神経学会および静岡てんかん神経医療センターの合同開催で、会場の大学病院講堂に約150名の参加者があり、このうち50名は全国各地から参加しました。30数人の患者さんについて、臨床カンファランスが3日間にわたって行われ、当院の医師も診療および臨床講義を行いました。会議はニュースとして3日間テレビで放映され、てんかんに関する会議としてメディアに流されたことの意義は大きいと思われました。
2008年のセミナーでは小児てんかんに話題をしぼり、講演とディスカッションが行われました。
なお、近年設立されたモンゴルてんかん学会のはじめての学術集会が2006年に開催されました。また、2006年以来、医療従事者および患者教育のために、地域での巡業ケア教育というユニークな非常に興味深い取り組みが行われています。当院の協力の記録はNeurology Asiaに論文として掲載されています。2012年9月には、第1回国際てんかんシンポジウムがウランバートルで2日間にわたって開催されました。2014年6月には、第2回国際てんかんシンポジウムが保健省で開かれ、テレビの取材も受けました。

ネパールでは、200人を超す医師が集まり、3日間にわたっててんかんの講義と症例の検討が行われました。厚生大臣は現役の脳外科医であり、自ら、てんかん外科についての講演を行いました。いずれの国でも、日本での専門医の研修・育成の希望が強く、当院としてもさらに研修の充実に力を注ぐ必要性を感じました。
その後、2006年9月に開催されたてんかん外科研究会に、当院から1人の医師を派遣しました。

バングラデシュでは、全国から200人を越す医師が参加し、熱心に質疑応答が行われました。てんかん医療への関心および水準はまだ十分ではありませんでしたが、国会議員が参加し、新聞報道され、現地のorganizerによれば、単に個々の医療者の水準向上だけでなく、インフラストラクチャーとしてのてんかん組織の強化に非常に大きなインパクトを与えるものであったようです。今後も継続した教育セミナー開催の要望がありました。

中国・新彊では2004年10月に行われ、120名の参加者で、東は雲南省、西はキルギスタンからも参加がありました。医療機器の普及は進んでいますが、症例検討の議論では、臨床面がまだ充分ではない印象があります。日本への研修留学を求める若い医師が複数あり、方策を考える必要性を痛感しました。
2005年8月には、中国の蘭州で2日間のコースを行われ、当院からは3人の医師が出席して小児科領域から老年期にわたる診断、治療、comorbidity、ケアに関する講義とdiscussionを行いました。各地から240人の医師が集まりました。診断機器は充実しており、てんかん医療の推進に対する関心は高く、具体的な研修の希望が寄せられました。
2006年6月には、広西省・南寧で2日間のコースがありました。当院からは4人の医師が出席。広い県内各所から約100人の医師が集まり、広西医科大学の講義室でてんかんの講義と討論を行われました。
2007年4月には、海南省海口で2日間のコースがありました。当院からは2人の医師が出席。省内および中国南部から約100人の医師が集まり、人民病院の講義室でてんかんの講義と討論を行われました。
2008年1月には、福建省福州で2日間のコースがありました。当院からは1人の医師が出席。省内および中国南部から120人の神経科医・小児科医・外科医が集まり、第1付属病院の講堂でてんかんの講義と討論を行われました。
2008年5月には第7回アジアオセアニアてんかん会議が近くのアモイで開催されました。
2009年9月には銀川市でてんかん症候群に関するコースが行われました。2013年9月には重慶でてんかんの社会心理的側面に関するコースが開催されています。
2011年11月には、台湾の高雄で開催された世界精神医学会地域大会において、「てんかんと精神医学」のシンポジウムを開催しました。

2010年以降、当院は、インドネシアのセマラン市にあるディポネゴロ大学と教育・研究活動における協力を約束し、活発に交流しています。同医学部附属病院がインドネシア政府により同国の「てんかん包括治療研究センター」に指定されたためです。2011年には、てんかんセンターの創設に協力するために、当院から2週間にわたり講師を派遣しました。6回の講演の他、症例検討、施設・設備の点検・調整なども行い、実地に基づいた形での医療協力を行いました。その後も多くの医師、検査技師、看護師の研修を受け入れています。

脳波はてんかん診断のために不可欠の検査であり、脳波検査技術および脳波判読の質を高めることは、てんかん学の知識向上と並行して重要な課題です。このために、インドネシア・バンドンでの脳波研修コース(2003.12)にひきつづき、Kunming(2004.5)にて2日間の脳波研修コースが行われました、当院から2名の医師が参加して講義および演習を行いました。主に雲南省から、遠くは北京、西安からの参加者を含め、120余名の参加がありました。脳波解読の演習は好評であり、当院で作成した脳波記録のマニュアルCDも活用されました。Singaporeでの脳波研修コース(2004.11)では近隣国から約100名の参加がありました。2005.7には同様の研修がジャカルタで、さらに2006.2にはDhakaで、2006.11にはクアラルンプール、2007.2にはチャアム(タイ)、2007.7にはシンガポール、2008.6にはハノイでも行われ、当院からも講師を派遣しました。これらの演習はアジア地区の脳波専門医認定資格制度に貢献しています。 さらに、2005.2にPenang(マレーシア)にて抗てんかん薬治療のワークショップが開催されました。これまでの臨床てんかん学全般にわたるセミナー、脳波検査技術にかかわるセミナーの他に、さらに個別分野での深い研修を目指したものです。2007年5月には上海でてんかんの心理社会的側面についての研修セミナーが行われました。このテーマで研修セミナーが行われるのはアジアではじめてです。当院からも1人の医師がスタッフとして参加しました。2012年には、インドのコーチンでハンズオン形式の脳波セミナーを行い、およそ150名が参加しました。2日間にわたり、脳波計の操作法から始まり、正常脳波、アーチファクト、そしててんかん性脳波異常と脳波だけを集中的に研修するセミナーで、参加者は多くのものを得たことと思います。

その後も各地での研修事業に参加しています。

2017年8月26日・27日にモンゴル・ウランバートルにおきまして、国際神経カンファランス「INFO2017-SLEEP DISORDERS & EPILEPSY(睡眠障害とてんかん)」が開催され、当院井上有史院長が基調講演のため参加しました。その席でモンゴル保健大臣から名誉勲章を授与されました。

ワークショップ「アジアにおけるてんかんケア」

2002 年9月16日に、アジアの11ヶ国(中国、モンゴル、韓国、日本、フィリピン、マレーシア、インドネシア、シンガポール、ネパール、スリランカ、インド)から26人のてんかん専門医が集まり、ドイツからの参加者も交えて、当院で「アジアにおけるてんかんケア」と題したワークショップが開かれました。
朝早くから夕方まで、アジア各国のてんかんケアの現状、問題点、今後の展望等について熱心な議論が交わされました。薬の質や供給の問題、診断技術および診断機器の不足、寄生虫によるてんかんへの対処、てんかんにかかわる専門医や専門職の養成の緊急性、てんかんセンター設立の重要性など、問題は山積みになっていることが明らかにされ、今後も各国が密接に連携して3000万人のアジアのてんかん患者のケアに取り組むことを確認しました。
このワークショップの記録は英文の小冊子として出版し、ビザがおりなかったり都合がつかずに出席できなかった他のアジアの国々を含め、全世界のてんかん関係機関に配布しました。

ワークショップ「アジアにおけるてんかん外科」

2006 年3月8-10日の3日間、アジアの諸国から合計36名の脳外科医・神経内科医が出席(China (14), Korea (3), Hong Kong (3), Taiwan (1), Mongol (1), Philippine (2), Indonesia (2), Malaysia (3), Thailand (1), Nepal (4), India (3))し、当院の医師16名、国内の招待講師3名および韓国と台湾からの招待講師2名を交えて、「てんかん外科ワークショップ:アジアにおけるてんかん外科」が開催されました。
朝から夕方まで、アジア各国のてんかん外科治療の現状、問題点、今後の展望等について熱心な議論が交わされました。2日目には、当院の三原忠紘外科医長による選択的海馬扁桃核切除術の実演が行われ、最先端のテクニックが披露されました。。
このワークショップの記録は英文雑誌Neurology Asiaのsupplementとして刊行されました(2007年)。
ひきつづき、2007年9月には、中国の西安にて、第2回のてんかん外科ワークショップが3日間開催されました。2008年にはインドネシアのサマランにて第3回、2009年にはインドのニューデリーで第4回、2010年にはインドネシアのバンドンで第5回、2011年1月にはパキスタンのカラチで第6回、2011年4月には中国・桂林で第7回、2013年7月にはタイのバンコクで第8回のてんかん外科ワークショップが開催されました。いずれも当院院長の井上が主催し、複数の医師が講師として参加しています。

アジアからの研修生

当院には毎年複数の人が研修に訪れます。1980年代から、これまで、ペルー、フィリッピン、韓国、台湾、サウジアラビア、カナダ、中国、ボリビア、フィジー、モンゴル、インドネシア、インド、ベトナム、ミャンマー、グルジアなどから医療スタッフが研修のため滞在されました。
2003年には、インドネシア・バンドンの神経科医が3ヶ月間のてんかん学研修をしていました。前半はほぼ毎日の講義メニュー、脳波や他の生理検査の記録技術と判読の習熟、文献抄読および毎日の新患対診に参加し、後半は病棟に所属しててんかん入院患者の諸治療方法や長期デジタル脳波記録技術の習得および判読、そして頭蓋内脳波記録における諸検査やビデオ同時記録の解析について研修しています。4つの地方研究会や国際会議にも出席していただきました。帰国後はてんかんセンターの設立に尽力されるとのことで、てんかん医療の輪が広がることを期待しています。
2004年には、マレーシア・クアラルンプールの臨床検査技師が、脳波・頭蓋内脳波や脳磁図の4ヶ月の研修を修了し、ベトナム・ハノイからは神経内科の医師が3ヶ月間、中国・重慶から神経内科医師が6ヶ月間研修滞在していました、2004年から2005年にかけて、中国(広州と北京)から2人の神経内科医師が6ヶ月から1年間の研修のために滞在し、2005年春からはミャンマー・ヤンゴンの神経内科医師が3ヶ月間滞在、秋からは中国(昆明)からの神経内科医、インド(ケララ)からの小児神経科医が6ヶ月間の研修をしていました。2006年夏は、ベトナム・ハノイから神経内科医が3ヶ月間の研修を行い、秋から中国・蘭州から神経科医が6月間滞在し、研修しました。2007年には中国の北京および南寧からそれぞれ神経科医(6ヶ月と1年間)が、マレーシアからは検査技師が1ヶ月間研修し、2008年にはインドネシアと中国から神経科医が1年間研修し、マレーシアからの検査技師が1ヶ月滞在しました。2009年にはベトナムから小児科医が半年間、香港から神経科医が3ヶ月間、マレーシアと中国から検査技師が1ヶ月間、中国から2名(2ヶ月と3ヶ月)およびインドネシアから2名(1ヶ月と3ヶ月)の脳外科医が研修しました。さらに中国から神経科医が1年間の予定で滞在していました。2010年には中国から複数名の脳外科医と神経内科医、インドネシアから1名の神経科医、台湾から1名の脳外科医が研修滞在しています。またマレーシアから検査技師が1ヶ月間滞在していました。2011年には中国、タイ、モンゴル、インドネシアから、それぞれ6名、1名、1名、3名の研修生(脳外科医、神経内科医、精神科医)を迎えました。2012年には、中国から臨床検査技師が1名、医師が3名(神経科医と小児神経科医)、タイから神経病理医が1名、インドネシアからは2名の医師と2名の検査技師が研修していました。2013年には中国から2名の医師、2014年にはインドネシア、タイ、インドから医師や看護師、2015年にはインド、ミャンマー、タイ、マレーシアから医師や検査技師、2016年にはミャンマー、タイ、マレーシア、フィリッピン、バングラデシュから医師や検査技師、2017年にはマレーシア、フィリッピン、中国から医師を迎えています。
今後も研修の医療スタッフを引き続き受け入れる予定になっています。

ディポネゴロ大学(インドネシア)との学術交流

ディポネゴロ大学は、インドネシア中部のジャバ島のセマラン市にある学生数42,000人の同国最大の総合大学で、現在、医学部に600床の新しい病棟を建設中です。
同医学部附属病院がインドネシア政府により同国の「てんかん包括治療研究センター」に指定されたため、てんかん治療の中核センターとしてのプランを作成するため、平成22年4月に、Wibowo 学長、Soejoto医学部長、Muttaqin脳外科教授、Wibowoリハビリテーション科教授が当院を訪問し、見学及び討論を行いました。当院は、専門センターとして今後の援助および協力を求められ、相互間の学術交流に関する覚え書きを交換し、教育・研究活動における協力を約束しました。

ベーテルてんかんセンター(ドイツ)との交流

当院は、ドイツのビーレフェルト市にあるベーテルてんかんセンターと深い交流を続けています。
2001年2月19日?22日、ベーテルてんかんセンターで「国際 Shizuoka-Bethel てんかん包括医療研究会議」(後援:日独協会、日本てんかん協会)を開催しました。
2003年4月27日、バロックコンサートの夕べ(弦楽四重奏団カメラタ・モデルナ)を開催しました。
2003年9月20日、ベーテルに日本庭園が開園しました。
2006年4月21日?30日、静岡アートギャラリーで「障害のある芸術家たちの絵画展」(主催:ベーテル・フォン・ボーデルシュヴィング総合社会福祉施設)を開催しました。
2013年3月18日?19日、第1回国際 MOSESトレーナー講習会に参加しました。
2016年10月9日、ベーテルからThorbecke氏を迎えて、MOSESトレーナーミーティングを静岡で行いました。
2016年10月10日、当院でRupprecht Thorbecke氏によるベーテルに関する講演会が行われました。講演会の資料は「ベーテルとは」
2018年1月22日〜24日、第1回国際famosesトレーナー講習会がベーテルで開催され、当院から10名が参加しました。
2018年2月28日~3月14日、ベーテル150周年記念展示会を静岡市民ギャラリーおよび当院で行いました。
2018年10月31日、当院でMargarete Pfaefflinさんによるベーテルに関する講演会が行われました。講演会の資料は「てんかんのある人のためのホームから、コミュニティで自立して生きるための援助へ〜ベーテル150年の歴史をたどる」

以下にベーテルてんかんセンター(ドイツ)の概要を紹介します。

― はじめに ―

ドイツのベーテルてんかんセンターは、最古のそして最大のてんかんセンターとして世界的に有名である。ベーテルは1867年、てんかんをもつ人々をケアするためにキリスト教社会奉仕事業の一環として創られた。どのような境遇にある人であれ、人としての尊厳をもち、社会に対して貢献するという理念に基づいて、居住空間と個々人に適切な援助の提供が行われた。以来、ベーテルに生活の場を求めるてんかんをもつ人々の数は増え、また他の病気や困難さをもつ人々のための施設も増加していった。現在、ベーテルでは8000人以上の人々が10000人以上のスタッフによってケアを受けており、その約1/3がてんかんをもつ人である。

治療が困難な時代には、生活空間の保証と労働場所の提供がケアの主体であったが、医学の進歩に呼応して1950年代後半にはてんかんの治療病院がつくられ、1980年代には外来治療部門が開設され、1988年には外科治療がはじまった。また障害概念の変化に対応して、1970年代以降、ベーテルは開かれた施設へと変貌してきている。現在、ベーテルのてんかん医療体制はきわめてユニークであり、刺激的である。その姿を紹介し、日本におけるてんかんの医療・ケアのあるべき姿を考えるための一つの材料を提供したい。

ベーテルてんかんセンターの概要

ベーテル地区は1.5×2.5kmの敷地を有し、種々の医療・福祉施設は、学校、職員住居、スーパー、美容院、郵便局など生活に必要な施設および一般企業と混在している。道路は一般の交通網と途切れることなく連なり、町に完全に開かれている。各施設の予算は、種々の保険や連邦予算によって賄われるが、新しいプロジェクトをはじめるための費用等は寄附で賄われている。また古切手の収集販売、古着類回収も重要な財源となっている。
ベーテルてんかんセンターは次に述べる9つの施設・部門から構成されている。しかしこれ以外にも、てんかん患者が利用可能なグループホームや短期・長期滞在施設は数多い。

● 小児および成人のための入院・外来施設

1980年代半ばから1991年にかけて大幅に改築された。スタッフは、医師24名、看護110名、技師(心理を含む)40名、作業療法士27名、家政22名、事務15名である。薬物治療、食養生療法、外科治療、精神療法、自律訓練、神経心理訓練、職業能力援助訓練、日常・社会生活訓練、カウンセリング、患者教育(MOSESプログラム)、地域援助が行われる。特に医学リハビリテーション部門、障害者職業訓練所、若年成人てんかん患者を対象とする社会リハビリテーション部門、小児・思春期の患者及び家族のカウンセリング部門、いくつかの養護学校、30の作業所、保護工場等と協力して、包括的てんかんセンターを形成している。
小児病棟は16歳以下で、3病棟より成り、合計で28床ある。幼稚園と学校が付属する。入院期間は平均63日。治療への両親の積極的な関与も推奨され、両親のためのアパートも2つある。月単位の長期療養に快適な「住む病院」の雰囲気造りがおこなわれている。てんかんという病気に対する医学的治療だけでなく、てんかんをもつ故の生活上の問題に対する種々の取り組みがなされる。

成人病棟は17歳以上で、合計で89床。入院期間は平均45日。「重度重複障害を持たない成人てんかん病棟」(2病棟、定床各14)、「重度重複障害をもつ成人てんかん病棟」(2病棟、計25床)、「精神療法病棟」(10床)、「リハビリ問題を抱えた思春期病棟」(14床)、「術前検索・集中監視病棟」(12床)の7つの病棟より成る。てんかん外科は年間110件行われている。

● 医学リハビリテーション部門

発作がかなり改善され、一般労働市場に再統合される見込みの高い人が対象で、てんかんの受容、教育(てんかんについての総合的な情報提供と教育、生活や服薬習慣の確立、てんかんの告知)、神経心理学的治療・訓練、職業評価と基本職業習慣の確立(作業速度、正確さ、時間厳守など)などを目的とする。患者教育や神経心理訓練には3-4週間、職業能力評価や訓練には4月間の入院となる。2年前に開設され、現在10床で、今後14床に拡充予定である。

● 職業訓練校

ドイツにある49の障害者職業訓練校(労働省管轄)のうち、唯一つてんかんをもつ若者のために特殊化したもので、1982年に設立された。定員156名。
前職業評価(4月)および職業準備コース(1年)のあと、正式の職業訓練(3-3.5年)が行われる。職業訓練は、金属加工、調理・家政、農芸、紡績・縫製、ホテル業の22の領域で行われる。寄宿舎つきの訓練校であり、自立した社会生活能力を養うため、5-6人単位のグループで生活指導が行われる。他国のてんかんセンター(フランス、イギリス、アイルランド、フィンランド等)との交流も行われている。

● 若年成人のための社会リハビリテーション部門

難治の発作以外に、精神医学的/知的障害、てんかん受容の問題、日常生活や社会生活のスキル不足を抱えた18-30歳の人を対象とし、自分で決断し、他人に依存しない生活、てんかんや他のハンディキャップへの適切な適応、発作のコントール、職業への導入を目的とする。10-14人を受け入れ可能な建物が4つあり、合計で46人分。指導員とソーシャルワーカーの他、医師、心理士、職業相談員、牧師なども定期的に訪れる。作業療法や保護工場、職業準備コースに参加する。期間は3-5年。

● 小児・思春期の患者および家族のアドバイスセンター

学校や家庭での問題に対処するために、発作や行動障害から生じる問題について教師や両親の相談を受け、年間400人の子どもをケアし、多くは1-2年にわたるカウンセリングが行われる。カウンセリングのみで薬物治療などは行わない。母親教室も開催している。

● てんかんと重複障害をもつ小児・成人のための居住ケア

てんかんと重複障害をもつ人のための長期リハビリテーションのために1600-2000人分の居住空間が用意されている。多くは生涯にわたって住み込む。現在ではこの居住部門は縮小されつつあり、代わりに全国に小さなホームが整備されつつある。

● 保護工場および一般職場

ベーテルには1000以上の職場があり、そのうち50-60%はてんかんをもつ人で占められている。目的は作業スキルを学び、一般雇用市場で職場を見つけ、生計を立てることである。

● 自助グループ

自助グループはベーテルてんかんセンターの職員からカウンセリング、種々の情報、教育、組織運営や財政についてのサポートを受けている。

● てんかん研究協会および生化学研究所

てんかん研究協会は薬物血中濃度測定および標準化のための生化学研究所を運営しており、年間15000-20000件の測定を行っている。

― 終わりに ―

以上述べた諸施設が有機的につながって、包括的なてんかんセンターを形成している。組織が大きいが故に柔軟な連携をとりにくいという難点もあるが、ベーテルはその難点を次第に克服し、無尽蔵の可能性を秘めた施設群をうまく利用して、新しいてんかんセンターを構築しようとしている。そして包括的てんかん医療とは何かを自問して研究し、その成果を積み上げる作業をしている。
ベーテルではてんかんをもつ人の保護という姿勢から次第に開かれた包括的医療へと変遷してきた。我が国では急性期医療から次第に包括的な医療へと需要が叫ばれている。求めるところは共通しているが、現段階での一つの優れたてんかんセンター像をベーテルにみることができる。

(2003年記)